L'Eau froide

nanayoshi's 100 things I love.

nana yoshida

director / editer / writer

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19.08.12

#055

Book

車輪の下

ことしも、いなくてならない数人の気むずかしやの老人が顔を見せた。彼らはもう長年自分では絞らなかったが、万事よく心得ていて、果実をほとんどただでもらったずっと前の時代のことを語った。なんでもずっと安くて上等だった。砂糖を加えるなんてことはまだまったく知られていなかった。だいたい昔は木のみのり方がまるで違っていた。
「あのころはまだ収穫ってことがいえたものさ。わしもリンゴの木を持っていたが、それ一本で五百ポンドも落とせたもんさ」
時勢は非常に悪くなりはしたが、気むずかしい老人たちはことしもたんまり味を見る手伝いをした。まだ歯のあるものはリンゴをかじった。それどころか、大きなナシをいくつかむりにたべて、したたか腹痛を起こしたのがひとりあった。
「ほんとだよ」と、彼は負け惜しみをいった。「昔はこんなものは十も食ったものさ」。そして本音の溜息をつきながら、十もナシを食っても腹痛を起こさなかった時代をしのんだ。
人ごみのまん中にフライク親方は圧搾機をすえて、年かさの弟子に手伝わした。彼はリンゴをバーテンから取り寄せた。彼の果汁はいつもいちばん上等だった。彼はひそかに満足し、「ちょっと毒味する」のをだれにも拒まなかった。彼の子どもたちはなおいっそう喜んで、そこらじゅうを駆けまわり、人だかりの中をうれしそうに泳いだ。しかし、はしゃぎこそしないが、いちばん喜んだのは彼の弟子だった。彼は高い森の貧しい百姓家の生れだったので、戸外で精いっぱい動いて働くことができるのが、全身に快かった。上等の甘い果酒もすばらしい味がした。丈夫な百姓の若者の顔が、森の神の仮面のように、歯をむきだして笑った。くつ作りする彼の手はいつの日曜よりきれいだった。

『車輪の下』 ヘルマン・ヘッセ