L'Eau froide

nanayoshi's 100 things I love.

nana yoshida

director / editer / writer

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16.06.8

#006

Book

The Marriage of Heaven and Hell

《1》
天国と地獄の結婚 The Marriage of Heaven and Hell
対立がなければ進歩はない。人間が生きるためには、親和と反発、理性と情動、愛と憎悪が必要だ。
宗教家たちが善と悪と呼ぶものは、これらの対立から生まれる。善は理性に従う受動であり、悪は情動から沸き上がる能動である。
善は天国。悪は地獄。

《2》
地獄の箴言
自らの羽で飛ぶ鳥に高く飛び過ぎるということはない。
孔雀の自惚れは、神の栄光である。
山羊の肉欲は、神の贈り物である。
獅子の怒りは、神の知恵である。
女の裸体は、神の作品である。

過剰な悲しみは笑いを呼び、過剰な歓びは涙を呼ぶ。
今、証明されているものは、かつては想像されただけに過ぎない。
一つの思いが無限を満たす。
自分の意思をいつでも明らかにできるようにしておけば、卑しい人間は近寄らない。
信じることができるあらゆるものは、真実を反映している。
朝考え、昼行動し、夕方に食べ、夜は眠れ。
人に欺かれるままにされている人は、相手を知っている。
小さな花を作るにも、数世代の力が必要だ。
非難は縛り、賞賛は解き放つ。
頭は崇高、心臓は悲痛、性器は美、手足は均整

《3》
古代の詩人たちは、知覚できるあらゆるものに神々、すなわち精霊の生命を吹き込んだ。森、川、山、湖、都市、民族など、彼らの壮大で多彩な感覚が認知しうるあらゆるものの名前で神々を呼び、それらの属性で神々を飾った。
特に、彼らは一つ一つの都市や国の精霊を凝視し、心のなかの神性のもとにそれらを位置付けた。
しかしそれは、民をだまし、隷属させる体系が形成されるまでのことだった。体系は、対象から神性を抽出し、実体化する。かくして、祭司制が確立した。
詩的な物語から崇拝の形式だけを抜き取ったのである。
あげくのはてに、祭司たちは、神々がそのようなことを命じたのだと公言した。
かくして人々は、神性というものが人間の胸のうちにあることを忘れたのである。

《4》
記憶に残る幻想
…それから私はエゼキエルに糞を食べ、長い間左脇、次いで右脇を下にして寝たのはなぜかと尋ねた。エゼキエルは応えた。他の人々を目覚めさせ、無限を知覚できるようにさせたかったからだ。北アメリカの民族はこれを行っている。目先の安楽や満足だけのために自らの精霊、すなわち良心を拒む人間は、誠実だと言えるだろうか?
神以外に栄えはないのではないか? と言う者がきっといるに違いない。答えよう。神が力を及ぼすのは、そして神が存在するのは、生きている者すなわち人間のなかだけだ。
地上には、常にこの二種類の人間がおり、敵対せざるを得ない。両者を調停しようとする者は、生命の破壊を目論む者だ。
宗教は両者を調停しようとする努力である。

注意。羊と山羊の比喩からもわかるように、イエス・キリストは、彼らの統一ではなく分離を望んでいたのだ。彼は、地上に来たのは平和ではなく、剣をもたらすためだと言っている。
メシアすなわちサタンすなわち誘惑者は、かつては大洪水以前の者、すなわち我々の情動であると考えられていた。

《5》
敵対は真の友情 

《6》
獅子と牡牛に同じ法を押し付けるのは圧政である。

『天国と地獄の結婚』
ウィリアム・ブレイク/長尾高弘訳