L'Eau froide

nanayoshi's 100 things I love.

nana yoshida

director / editer / writer

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19.04.7

#048

Book

Never Any End to Paris

ある夜、パリが暴風雨に見舞われて、突然目が覚めた。屋根裏部屋の小さな窓を閉め、肩からショールをかけ、いくぶん楽しみながら雷鳴を聞き、稲妻が走ると面白半分に怖がってみた。その時、数日前にバルセローナで耳にしたフアン・ベネットの言葉が突然思い浮かんだが、あの日もやはり暴風雨が吹き荒れていた。そのとたんに、『教養ある女暗殺者』の結びの箇所を後回しにして、べつの小説を書きはじめたいという気持ちになった。机の前に座ると、結局のところは自分は地中海人なので、海水浴場でにぎわう夏は俗悪な感じがして嫌だが、太陽と海には魅せられる。暴風雨の中、机の前に座り、新しい小説の最初の一説を気分良く書きはじめた。《私は太陽と砂、それに塩辛い水を愛している》。そのあと一ページを使って自分が地中海にどれほど魅せられているか、その思いを書き綴った。ところが、どうしても二ページ目に進めなかった。《今日、小説の最初の一ページを書き上げたけれども、どういう展開になるのか見当もつかないんだ。ただ、この一年はそれが固執観念のようになってぼくに付きまとってくるだろうな》とベネットが言うのを聞いた。私もすでに一ページ目を書き上げていたものの、小説がどういう展開になるか分からなかった。ここまでは完璧というほかはないほどまったく同じだった。しかし、そこからが違った。私は何時間も、一年間自分に取りつくはずの固執観念の訪れを待ち続けたが、徒労に終わった。
・・・
翌日、嵐は収まっていた。私はうなだれ、屈辱感に打ちのめされて『教養のある女暗殺者』に戻った。午前中、何時間か執筆に充て、そのあとスペインのスポーツ紙を買うために外出し、バック通りにある安価な中華料理店で昼食をとることにした。その店へ行く途中でマルティーヌ・シモネとすれ違った。彼女と食事ができるならすべてをなげうってもいいと思った。ところが、彼女は急ぎ足で反対側の歩道に移ると、昨晩はひどい嵐だったわねというようなことをジェスチャーで伝えてきた。そして、角を曲がって姿を消した。太陽と砂、それに塩辛い水を愛していると伝えることさえできなかった。その方がよかったのだろう。というのも、もしそうなれば調子に乗ってたとえば、《一年前から君はぼくの固執観念になっているんだ》と言わずもがなのことを口にしかねなかったからだ。

『パリに終わりはこない』 / エンリーケ・ビラ=マタス 木村栄一訳
Never Any End to Paris / Enrique Vila‐Matas